7.リバプール・サウンドとブリティッシュ・インヴェイジョン-1964-1965年

  1. マージービート(Merseybeat)-ビートルズ(The Beatles)の登場
  2. ブリティッシュ・ブルース-首都ロンドンのムーブメント
  3. イギリスからの侵略-ブリティッシュ・インヴェイジョン
  4. イギリスの海賊ラジオ局(Pirate radio)

7.リバプール・サウンドとブリティッシュ・インヴェイジョン

C.イギリスからの侵略-ブリティッシュ・インヴェイジョン


The Beatles

1964年 アメリカは2つの大きな波で揺れていました。
1つは長年の懸念であった公民権法の成立で、表面上は黒人差別が撤廃されたことで、文学界、スポーツ界、音楽界でブラックパワーが興隆してきたこと。
そして、もう1つはイギリスからの音楽の侵略「ブリティッシュ・インベイジョン(British Invasion)」です。

ビートルズを筆頭に、イギリスのロックンロール・バンドが束となって襲ってきた年が、この1964年。最初の大波がビートルズでした。

しかし、ビートルズもデビューから上陸まで約1年という時間がかかっているのは、音楽業界の特殊なしくみが原因でもあります。

当時、イギリスからアメリカに音楽を売るには、まずイギリスのレコード会社から、アメリカに配給権を買い取ってもらわなければ、アメリカで販売はできませんでした。
アメリカで配給権を買い取ってもらうためには、まずイギリスの所属レコード会社からアメリカに働きかけてもらわなければなりません。

Vee Jay盤 Please Please Me

EMIのアメリカでの配給先、キャピトル(Capitol Records)は同じくイギリスのアイドル「クリフ・リチャード」の売り出しに失敗していた経験があり、ビートルズの売り出しにはあまり乗り気ではありませんでした。

全英1位を獲得していたにもかかわらず、アメリカでは4枚目のシングルまで、キャピトルでは出してもらえず、中小レーベルからのワンショットリリースしかされませんでした。


ここでエプスタインは「エド・サリバン・ショー」への出演契約を取り付け話題を先行させます。
※エド・サリバンショーは当時、アメリカの国民的な人気のバラエティー・TVショー

さらに普段ロックンロールなど取り上げない「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」「ニューヨーカー」などに「ビートルマニア」という新しい言葉と、イギリスの新現象を取り上げるよう働きかけます。

1963年12月、これらの動きを受けて、とうとうキャピトルがビートルズのすべての音源のアメリカでの発売権をコントロールすることを決め、売り出しに本腰を入れることになります。

アメリカ進出を意識して作った「抱きしめたい」がイギリスより少し遅れた1964年1月、キャピトルからリリースされると、リリース4日後に「キャッシュボックス」誌のチャート1位を獲得、その2週間後には「ビルボード」誌のチャートで1位を獲得。

エドサリバンショーに出演するため初めてアメリカに訪米した2月、空港には1万人を超える若者が押し掛けます。そしてエドサリバンショーへの3週連続の出演は人気の後押しとなり、あっという間にアメリカの全チャートを制し、ビートルズ旋風が巻き起こります。

キャピトルは若者からの、もっと他の曲も、というリクエストに応え、矢継ぎ早にリリース。この年の4月4日付けのビルボードホット100では上位5位までがビートルズで占められ、これはいまだ伝説となっています。

The Rolling Stones

The Animals

Manfred Mann

The Kinks

The Zombies

The Dave Clark Five

Gerry and the Pacemakers

The Honeycombs

The Swinging Blue Jeans

イギリスの業界はこの成功で、すぐさまビート・グループたちを次々にアメリカへ送り込みます。

ビートルズとともにこの年の年次間チャートに入ったのは「アニマルズ(The Animals)」「マン・フレッドマン(Manfred Mann)」「デイヴ・クラーク・ファイヴ(The Dave Clark Five)」「ジェリー&ザ・ペイスメーカーズ(Gerry and the Pacemakers)」「ハニーカムズ(The Honeycombs)」「ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)」「キンクス(The Kinks)」「ゾンビーズ(The Zombies)」「スィンギング・ブルージーンズ(The Swinging Blue Jeans)」など。

彼らが演奏する音楽は、アメリカの初期のロックンロールやR&B、ジャズのカバーや、ブリル・ビルディング、それらに強く影響を受けた自分たちで作ったオリジナルの音楽でした。


アメリカでは、黒人をルーツとするロックンロールや、R&B、ジャズは、一部の好事家をのぞいては、公民権法の成立したとはいえ、まだまだメインストリームには出てこない音楽でした。

黒人音楽を模倣し、成功を収めたのはエルヴィスが最初でしたが、徴兵後その不良性は失われ、同時期に活躍していたスター達は、スキャンダルや、死亡事故で姿を消し、スイートなティーンポップが台頭していた時代です。アメリカでも、ロックンロールのスターを待ちこがれていました。


イギリスから来た若者達は、こういった顧みられることがなかったアメリカのルーツともいえる音楽のかっこよさを、荒削りな躍動感にのせて本場の全米チャートを襲来したのです。

アメリカの若者は、この波を熱狂的に受け入れました。

この大波を受けて、なおかつヒットを飛ばせたアメリカのアーティストは「ビーチボーイズ」「フォーシーズンズ」「モータウン勢」ぐらいでした。


アメリカの音楽業界は、彼らの音楽をティーンポップの延長ととらえましたが、けしてそうではありませんでした。アメリカの若者達は、イギリスの若者の音楽を通して、徐々に自国のルーツともいえる音楽のかっこよさを再認識していくのです。

そして、これこそがブリティッシュインベイジョンの最大の功績でもありました。
この動きは、やがて「ブルー・アイド・ソウル」「ルーツ・ロック」などに結びついていきます。


また、自分たちで作詞作曲をし、演奏するというスタイルも、アメリカの音楽業界に一石を投じました。

アメリカの音楽ビジネスは、出版社という音楽を作る業界が実権を握っており、アーティストは音楽を出版社から購入して歌うのが普通でした。イギリス勢はその常識をもぶちこわしたのです。


特に、フォーク・シーンの若者達は、誰かが作った曲ではなく、もっと自分たちの言葉で表現したいという気持ちが強く、自作するイギリス勢の動きを歓迎。さらに演奏スタイルにも影響を受け、この動きは、やがてフォークロックへとつながっていくのです。


こうしてイギリスの侵略に影響を受けた若者達が、アメリカからの回答にむかって動き始めます。

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  3. イギリスからの侵略-ブリティッシュ・インヴェイジョン
  4. イギリスの海賊ラジオ局(Pirate radio)