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キング・クリムゾン (King Crimson)ヒストリー
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キング・クリムゾン (King Crimson) は、イギリスのプログレッシブ・ロックバンド。
ピンク・フロイド、イエス エマーソン・レイク&パーマーと並ぶログレッシブ・ロックの4大バンドの一つといわれる。
1960~1970年代のプログレッシブ・ロック・ムーブメントを支え、その音楽スタイルから多くのアーティストに影響を与えてきた。
インプロヴィゼーション(即興演奏)を主体とした演奏方法が特徴であり、高度な演奏テクニック、実験的で複雑な楽曲など、一部のプログレッシブ・ロックのファンの間では、カリスマ性を伴った人気を誇っている。
1968年、セッション・ミュージシャンだったピーター・ジャイルズ、マイケル・ジャイルズの兄弟がバンドを作ろうとして募集したオーディションにロバート・フリップ(Robert Fripp)が合格。「ジャイルズ、ジャイルズ&フリップ」が誕生。
イアン・マクドナルド、ピート・シンフィールドを招き入れ、アルバムも発売したが興行的には失敗。
ピーター・ジャイルズが脱退し、グレッグ・レイク(Greg Lake)が加入、ロバート・フリップ(ギター)、グレッグ・レイク(ベース、ヴォーカル)、イアン・マクドナルド-Ian McDonald(サックス、フルート、キーボード)、マイケル・ジャイルズ(ドラム)、ピート・シンフィールド(詩作、ステージング)という5人編成になった彼らはシンフィールドの提案で「キング・クリムゾン」と改名。
1969年 デビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』を発表。
このアルバムは、プロデュースしたトニー・クラークとサウンド作りで決裂、デビュー・アルバムからいきなりセルフ・プロデュースを行うことになる。
このデビューアルバムは好評を博し、特に「21世紀の精神異常者」、「風に語りて」、「エピタフ(墓碑銘)」は名曲という声も高い。
しかし、その後マクドナルドとジャイルズが脱退。
1970年2枚目のアルバム『ポセイドンのめざめ』作成中にグレッグ・レイクが脱退。
キース・エマーソンとカール・パーマーと共にエマーソン・レイク&パーマーを結成し、成功することとなる。
同年3枚目のアルバム『リザード』発表。
ゴードン・ハスケル アンディ・マッカロック レコーディングサポートにキース・ティペット イエスのジョン・アンダーソンを迎え作成した。
しかし、その後ゴードン・ハスケル アンディ・マッカロックはレコーディング終了後に脱退。
ボズ・バレル イアン・ウォーレス、メル・コリンズが加入。
1971年『アイランズ』発表。
その後、ボズ・バレルがバッド・カンパニー結成のため離脱、イアン・ウォーレス、メル・コリンズも脱退し、シンフィールドを解雇してクリムゾンはロバート・フリップひとりになる。
元ファミリーのジョン・ウェットン(ベース、ヴォーカル)、元イエスのビル・ブラッフォード(ドラム)、デヴィッド・クロス(ヴァイオリン、キーボード)、ジェイミー・ミューア(パーカッション)というメンバーを集め、クリムゾンを一から作り始める。
1973年『太陽と戦慄』を発表。
ミューアが怪我から脱退
1974年『暗黒の世界』発表。
クロスが脱退
1974年『レッド』を発表。
一時的にイアン・マクドナルドをカム・バックさせるなど、今後の展開が望まれたが、フリップの意志により解散が決定。
1981年 ビル・ブラッフォード トニー・レヴィン エイドリアン・ブリューを加えて、キング・クリムゾンはバンド活動を再開
『ディシプリン』、『ビート』『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』を発表し、1980年代半ばに再び解散。
1994年以降、再結成時のメンバーに加え6人編成にして再度結成、ダブルトリオでのライブツアーなども行った。
2008年メンバーが変わりつつ、アメリカツアーを敢行。
その後、現在のところクリムゾン名義での活動は行われていない。
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