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♣オールマン・ブラザーズ・バンド(The Allman Brothers Band)ヒストリー♣
オールマン・ブラザーズ・バンド(The Allman Brothers Band)は、ギタリストのデュアン・オールマンが中心となり1969年に結成した、アメリカ合衆国のロックバンド。
カントリーミュージックとジャズを取り込み、独自のサウンドを作り、サザンロックと呼ばれるサウンドの基礎を築いた。
バンド結成
デュアン・オールマンと弟のグレッグ・オールマンは、1963年、オールマン・ジョイズを結成しシングルレコードをリリース。
しかしまだまだローカル・バンドで、セントルイスのクラブに出演していた頃、ニッティ・グリッティ・ダート・バンドのマネージャーに気に入られ、カリフォルニア州ロサンゼルスへ移住。アワーグラスというバンド名で1967年にアルバムをリリースした。このバンドはミュージシャン仲間からは高評価を受けたがまったく売れず、音楽性についてレコード会社と彼らの意見がまったく合わず、2枚のアルバムのみでこのバンドは解散する。
都会の生活に疲れ切ったデュアンはバンドを脱退し、故郷のデイトナに戻り、またローカル・バンドを結成する。フロリダ州ジャクソンビルで活動をするうちに、ブッチ・トラックス(ドラムス)、ディッキー・ベッツ(ギター)とベリー・オークリー(ベース)、ジェイ・ジョハンソン(ジェイモー)といった面々と出会い、セッションを重ねるようになる。
この頃からデュアンはセッション・ミュージシャンとしても活躍し出し、フェイム・スタジオを中心にアレサ・フランクリン、ウィルソン・ピケットなどのレコーディングに参加した。1969年、ニュー・レーベル発足(キャプリコーン)の準備をしていた故オーティス・レディングのマネージャーから、第1号のミュージシャンとして誘われる。
デュアンはロスで作曲家として働いていたグレッグを引き戻し、同年設立されたばかりのキャプリコーンからオールマン・ブラザーズ・バンドとしてアルバム・デビューした。
転機
デビューアルバムは南部を中心に“スワンプ・ロック”と呼ばれ評判にはなった。しかし玄人好みの彼らのサウンドは一般には受け入れられるものではなかった。
翌年の1970年、2作目「Idlewild South」をリリース。ファースト・セカンドとも大きな成功を収めるには到らなかった。
しかし、デュアンはエリック・クラプトン率いるデレク&ドミノスとのレイラ・セッションに参加し、この時の模様がアルバム「愛しのレイラ」として発売された。このデアルバムでの歴史に残る名演とシングル曲「愛しのレイラ」のビッグ・ヒットによって、デュアン・オールマンとオールマン・ブラザーズ・バンドの名は一躍世界中に知れ渡ることとなる。1971年、彼らはレコード会社の反対を押し切って2枚組のライブ・アルバム「フィルモア・イースト・ライヴ(At FillmoreEast)」をリリース、全米13位の大成功を収める。この「フィルモア・イースト・ライヴ(At Fillmore East)」はライブで真価を発揮する彼らの魅力が充分に伝わる名作といわれている。
悲劇
「フィルモア・イースト・ライヴ(At Fillmore East)」の成功の、その直後に悲劇は起こる。
71年10月ニュー・アルバム「イート・ア・ピーチ(Eat A Peach)」のレコーディング中の休暇に愛用のバイクに乗ったデュアンがトラックを避け損なって追突。わずか24年の短い生涯を閉じてしまう。
リーダーがいなくなったバンドではあったが、結束は堅く、デュアンの意志を継いでベッツが中心となってすぐに活動を再開した。後任ギタリストを補充せず、72年既にデュアンの生前録音してあった3曲と新曲、未発表ライブを組み合わせたアルバム「イート・ア・ピーチ(Eat A Peach)」をリリース。これが全米4位までまであがる大ヒットとなった。
しかし、この年、ベリー・オークレーが、この年デュアンが事故にあったすぐ近くで同じようにバイクで事故を起こし他界。
度重なるメンバーの死を超え、残ったメンバーはバンド活動を続行。
この後、新メンバーにオークリーの後任としてラマー・ウィリアムズ(b)とチャック・リーヴェル(kb)を迎え、73年さらにレス・デューディック(g)をゲストにアルバム「ブラザーズ&シスターズ(Brothers And Sisters)」を発表。
ディッキー・ベッツ色が強くなったこのアルバムは全米アルバム・チャートNo.1の大ヒットを記録。「ランブリング・マン(Ramblin’ Man)」の大シングル・ヒットも生んだ。
解散・復活・解散
だが、この頃からメンバー間で音楽的な意見の相違が大きくなり、バンドの活動と平行して、グレッグとディッキーがそれぞれソロ・アルバムを出すという事態に発展。
1976年には麻薬問題でグレッグが自分が捕まるのを恐れロード・マネージャーを検察に売ったとして、メンバー全員がプレイすることを拒否、バンドの解散は決定的となった。
それ以降、グレッグはソロで、ディッキーも「グレイト・サザーン」というバンドを結成。ラマーとジェイモとチャックはフュージョン・バンド「シーレベル」を結成。残るブッチはトラックス」を結成とそれぞれの道を歩んでいった。
ところが2年後の1979年、グレッグが呼びかけ、ディッキー、ジェイモ、ブッチに元グレイト・サザーンのドン・トーラー(g)とルーク・ゴールドフライズ(b)を加えて突然オールマン・ブラザーズ・バンドとして復活。
(リーヴェルとウィリアムズはシーレベルでの活動を続けたため再結成には加わらなかった。)
1979年にはアルバム「Enlightened Rouges」をリリース。
しかし、キャプリコーン・レーベルの倒産などもあり、バンドは軌道に乗らぬまま81年に再び解散した。
2度目の再結成
1989年になると、新メンバーを迎え、本格的に復活。
トム・ダウトをプロデューサーに迎えてアルバム「Seven Turns」をリリース。
1994年、Woodstock ’94に出演。1995年には、ロックンロールの殿堂入りを果たす。
2000年にはメンバーとの対立からオリジナル・メンバーのベッツが脱退。
ニューヨークのビーコン・シアターでの恒例ライヴなどをこなしながら、現在もバンドは活動中。
→ディスコグラフィのページ
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