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    ミーターズ(The Meters)は、1960年代後期から1977年まで活動した、ニューオリンズ(ルイジアナ)に拠点を置くアメリカのファンクバンド。

    セカンドライン・ファンクと呼ばれるニューオーリンズ独特のファンク・サウンドが特徴。

    1969年発表の「ソフィスティケイテッド・シシー(Sophisticated Cissy)」「ロッカパイパイ(Look-Ka Py Py)」は、ファンクの古典ともいわれている。

    ニューオリンズ・ファンクの創始者の一つとして、いまなお多くのミュージシャンに影響力をあたえている。


    アート・ネヴィル&ザ・サウンズ(Art Neville&The Sounds)
    ミーターズの前身は、17歳から音楽活動をしていたアート・ネヴィルがそれまでのバンド(ホウケッツ-Hawkettes)が解散、ソロに転じていた1965年、アート・ネヴィル&ザ・サウンズ(Art Neville&The Sounds)を結成したことから始まる。
    このときのメンバーは

    アート・ネヴィル(Art Neville-K、Vo)
    レオ・ノセンテリ(Leo Nocentelli-G)
    ジョージ・ポーターJr.(George Porter, Jr.-B.Vo)
    ゲイリー・ブラウン(Gary Brown-Vo)
    ジョー“ジガブー”モデリスト(Joe “Zigaboo” Modeliste-Dr)
    アーロン・ネヴィル (Aaron Neville-K)
    チャールズ・ネヴィル(Charles Neville-Sax)

    しばらく活動したのち」、地元のクラブでのレギュラーの仕事を得たが、小さなステージで7人編成のバンドは演奏できず、やむなくアート・ネヴィル(Art Neville)を中心にリズム隊で構成した「ファンキー・ミーターズ」とアーロン、チャールズの「サウンド・マシーン」に分かれそれぞれの活動を開始。

    「ファンキー・ミーターズ」の活動が、プロデューサー、アラン・トゥーサン (Allen Toussaint)の目にとまり、1968年、アラン・トゥーサン が 経営する Sansu Enterprises と契約。

    バンド名を「ミーターズ(The Meters)」に変更する。

    ただし、このときの契約は「ボーカル抜き」というバックバンド契約だった。

    オリジナル・ミーターズ

    アラン・トゥーサン (Allen Toussaint)リー・ドーシー(Lee Dorsey)などのバックミュージシャンを経て、1968年、ジョーシー・レコード(Josie Records-ニューヨークのR&B専門レーベルJubilee Recordsの子会社)からシングル「ソフィスティケイテッド・シシー(Sophisticated Cissy)」発表。

    同年アルバム「ミーターズ(The Meters)」リリース。
    アルバムの中の1曲「「シシー・ストラット(Cissy Strut)」がヒット。

    1969年 アルバム「ロッカ・パイパイ(Look-Ka Py Py) 」発表
    1970年 アルバム「ストラッティン(Struttin’) 」発表

    1972年 リプリーズ・レコード(Reprise Records-現在はワーナーに吸収合併)に移籍。
    同年アルバム 「キャベッジ・アレイ-Cabbage Alley」発表

    レーベル移籍後はヒットが出ず苦労したが、その間彼らはドクター・ジョン(Dr. John)、キング・ビスケット・ボーイ(King Biscuit Boy)、ラベル(LaBelle)、ロバート・パーマー(Robert Palmer)などのバックを担当。高い評価を得る。

    1974年「リジュビネーション-Rejuvenation」発表

    「キャベッジ・アレイ-Cabbage Alley」から参加していたシリル・ネヴィル(Cyril Neville)がメンバーに正式加入。

    1974年、ミーターズを高く評価していた、ポール・マッカートニー(Paul McCartney)は彼のアルバム「ヴィーナス・アンド・マース(Venus And Mars)-Wings」のリリースパーティでの演奏を依頼する。

    そのイベントに出席していたミック・ジャガー(Mick Jagger)の依頼で、ローリング・ストーンズの1975年の全米ツアー、1976年のヨーロッパツアーの前座に抜擢。

    1975年 「ファイア・オン・ザ・バイユー(Fire on the Bayou)
    このアルバムはミーターズ(The Meters)として最も成功したアルバムとなる。
    この頃、プロデューサーとは名ばかりになってしまったアラン・トゥーサン (Allen Toussaint)や練習テープを寄せ集めて作ったアルバム「トリック・バッグ(Trick Bag)をツアー中に勝手にリリースしたSansu Enterprises に嫌気がさしたミーターズ(The Meters)は1977年 「ニュー・ディレクション(New Directions) 」発表後、解散。
    1978年 アートとシリルは、ほかの兄弟たちとネヴィル・ブラザーズを結成。

    ファンキー・ミーターズ(The funky Meters)

    1989年 ニューオーリンズ・ジャズフェスをきっかけにミーターズ(The Meters)再結成される。ジョー“ジガブー”モデリスト(Joe “Zigaboo” Modeliste-Dr)は参加せず、代わりにラッセル・バティストJr.(Russell Batiste, Jr.)加入。

    1993年 初来日

    1994年 レオ・ノセンテリ(Leo Nocentelli-G)脱退、ブライアン・ストルツ (Brian Stoltz) 加入。

    名前をファンキー・ミーターズ(The funky Meters)と変更。

    一方でオリジナルメンバーでの再結成も単発で行われていたことがあることから、区別するためにそちらは「オリジナル・ミーターズ (The Original Meters)」と呼ばれている。
    ※ただし、アートは 「オリジナル・ミーターズ (The Original Meters)」の活動はもう行わないと表明。2006年以降、オリジナル・ミーターズ (The Original Meters)の活動は行われていない。

    2007年 ブライアン・ストルツ (Brian Stoltz) 脱退。
    アートの息子、イアン・ネヴィル(Ian Neville)が加入。

    2009年 フジ・ロック・フェスティバルへファンキー・ミーターズ(The funky Meters)として初来日。

    現在も不定期ではあるが活動中である。

    Look-A-Py-PyCabbage AlleyFire on Bayou


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