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♣ クラッシュ(The Clash)ヒストリー♣

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1976年 – 1986年にかけて活動した、イギリス・ロンドン出身のパンク・ロックバンド。

セックス・ピストルズと並び、最も成功したパンク・ロックバンドの一つであり、ほぼ10年に渡って長期間活動を続けたパンクでは数少ないバンドでもある。

一般的なパンク・ミュージックが”不況や社会からの差別に対する怒り”を歌詞にこめていたのと異なり、左翼的政治主張を強く意識した攻撃的な歌詞と、疾走感あるビート・サウンドでロンドン・パンクの代表格となる。

また、レゲエ、ダブ、ロカビリー、ジャズ、スカなど幅広いジャンルの音楽を取入れ、独自の個性を確立して後の音楽シーンに大きな影響を与えた。

◊ザ・クラッシュ誕生

1975年、イギリスでロンドンSSというバンドが結成。
メンバーは
ミック・ジョーンズ(g,vo)、トニー・ジェイムス(b)、ブライアン・ジェイムス(g)、キース・レヴィン(g)、ポールシムノン(b,vo)。
ロンドンSSはアルバムのリリースも無いまま解散。

1976年3月 ミック・ジョーンズ(g,vo)、ポール・シムノン(b,vo)、キース・レビン(g)、テリー・チャイムズ(ds)の4人編成となったバンドは、シムノンのアイディアで「クラッシュ」と名乗るようになる。

強力なヴォーカリストを加えたかったジョーンズとシムノンは101’ers(ワン・オー・ワナーズ)のジョー・ストラマーに、クラッシュ加入を誘う。セックス・ピストルズのステージに衝撃を受けていたジョー・ストラマーは、自分のバンドに見切りをつけ、マネージャーのバーニー・ローズを連れてクラッシュに加入。

後にバンドのメンバーは、バーニーの思想の影響を受け、左翼的政治主張を強く意識した音楽活動をするようになる。(バーニー・ローズはピストルズのマネージャー、マルコム・マクラレンの相棒として活躍していたデザイナー。)

1976年7月 ピストルズの前座でライブデビュー。

まもなく、キース・レヴィンが自身のバンド結成のため脱退。(フラワー・オブ・ロマンスを結成)1977年1月 CBSと契約。
1stアルバムの製作にとりかかる。
キース・レヴィンに続き、バンドの政治的思想についていけなくなったテリー・チャイムズも脱退を宣言。

◊レコードデビュー

1977年3月 アルバム「The Clash/白い暴動」発売。激しく荒々しいストレートなガレージ・サウンド。全英12位

イギリスにおいては非常に高い人気を獲得していたが、荒々しいガレージパンクなこのアルバムは、アメリカでは発売を拒否。

テリー・チャイムズが正式に脱退。トッパー・ヒードン(ds)が加入。1978年10月、マネージャーのバーニー・ローズ解雇。

1978年11月、アルバム『動乱(獣を野に放て)GIVE’EM ENOUGH ROPE』発売。全英2位
前作に比べサウンドが重厚になり、曲の完成度が高まったと評価を受ける。

◊ アメリカへ進出

1979年 パールハーバー’79と題した初のアメリカツアーを敢行

1979年12月 アルバム「London Calling/ロンドン・コーリング」発表。アルバムは英米双方で好セールスを記録。
このアルバムは様々な音楽を吸収した作品で、アメリカでも高い評価を受け、後に米「ローリング・ストーン」誌で“80年代の最も重要なアルバム”に選ばれる。

このころから、ジョー・ストラマーは「Punk is attitude, not style(パンクはスタイルではなく姿勢である)」と言い続け、レゲエなどのルーツミュージックへ傾斜していくようになる。
(しかし、3コードのパンクナンバーを期待したファンにとっては、このアナログ2枚組の大作は物足りず、批判が集中する。)

1980年12月、アルバム「Sandinista! /サンディニスタ」発表。英チャート 19位、アメリカチャート24位を記録。
この作品は、前作以上にレゲエやダブへのアプローチが強く、実験的な曲も多くなり、ファンク、ヒップホップなどの要素も加わる多彩なアルバムとなった。

◊ バンドの崩壊

1981年 マネージャーのバーニー・ローズが復活。
16夜連続ギグをするなど精力的に活動。極東ツアーで来日公演も果たす。

1982年4月、バーニー・ローズの発案で、次作のアルバム売り上げを増やすための話題づくりとして、ジョー・ストラマーが失踪。5月にバンドに復帰するものの、この行動がメンバーの怒りを買う。さらに トッパー・ヒードンのヘロイン中毒がひどくなり、脱退を希望、メンバー間の緊張が高まっていたクラッシュの崩壊が始まっていく。

1982年5月、アルバム「Combat Rock/コンバット・ロック」を発表。全英2位、全米7位
「ロック・ザ・カスバRcck The Casbah」「ステイ・オア・ゴーShould I Stay or Should I Go」がシングルカットされ、ヒットした。

このアルバムの製作後、ドラックをやめないトッパーを正式に解雇 。
トッパーの後任には、初期メンバーのテリー・チャイムズ(ds)を臨時で雇い、ツアーは続けられたが、1983年4月のUSフェスティバルを最後にミック・ジョーンズも脱退。

1984年 ジョー・ストラマーは新メンバーを加入させ、5人組としてクラッシュの活動を続行
新メンバーは
ニック・シェパード(g)、ヴィンス・ホワイト(g)、ピート・ハワード(ds)

1985年11月 アルバム「Cut The Crap/カット・ザ・クラップ」発表。
バーニー・ローズがプロデュースにクレジット、ミキシングも手がけたこのアルバムは、評論家から酷評される。後にジョー・ストラマーは「俺の生涯で最大の汚点」と語っている。

1986年2月 クラッシュ解散。

◊ 追悼・・・ジョー・ストラマー

2002年12月 ジョー・ストラマーが心臓発作にて死去 享年50歳

ジョー・ストラマーはクラッシュ解散以後、華やかな世界からは姿を消していたが、1995年頃からイギリスのヒットチャートに登場するミュージシャンたちと活動し、再び華やかな音楽の世界へと姿を見せていた。

1999年には”ザ・メスカレロス”を結成し、アルバム製作やツアーなど精力的な活動を行っていた。
また、クラッシュのメンバーであったポール・シムノン、ミック・ジョーンズ、トッパー・ヒードンを加えた4人でのクラッシュの再結成を検討している最中の死去であったという。

The ClashLondon Callingコンバット・ロック


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