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♣エーシー・ディーシー(AC/DC)について♣
AC/DC(エーシー・ディーシー)は、オーストラリアのシドニーで、1973年12 月に結成されたロックバンド。
デビューから現在に至るまで、ノリのよさを重視したシンプルなハードロックを中心に演奏、未だにファンを増やし続けている。
現メンバーは、
アンガス・ヤング (Angus Young)g
マルコム・ヤング (Malcolm Young)g
ブライアン・ジョンソン (Brian Johnson)vo
フィル・ラッド (Phil Rudd)dr
クリフ・ウィリアムズ (Cliff Williams)ba
ラモーンズのジョーイ・ラモーンをはじめとして、AC/DCを敬愛するパンクロッカーも多い。
モトリー・クルー、シンデレラ、アンスラックス、ポイズンなども尊敬するミュージシャンとして、AC/DCを挙げている。
AC/DC結成
1973年11月、マルコム、アンガス兄弟は、ラリー・ヴァン・クリート、デイヴ・エヴァンス、コリン・バージェスを迎えAC/DCを結成。
アンガス・ヤングの姉の発案で、彼に学校の制服を着させてステージへ上げたところ好評で、以来この半ズボンにランドセルを背負ったスタイルがバンドのトレード・マークとして定着。
1973 年12月31日 オーストラリアのニューイヤーズイヴ・コンサートにて初のライヴを行う。
程なくしてバンドはEMIがオーストラリアとニュージーランドで配給を行っていたローカルレーベル「AlbertRecords」と契約を結ぶ。テレビ出演などで知名度が急上昇。
1974年9月、ボーカルをデイヴ・エヴァンスからボン・スコットに交代
1stアルバム『ハイ・ヴォルテージ (High Voltage)』を発表(当時オーストラリアのみのリリース)結成当初、バンドメンバーは安定しておらず特にドラムとベースは頻繁に入れ替わっていたが、このころから安定し、アンガス兄弟、ボン・スコット、フィル・ラッド、マーク・エヴァンスの編成がしばらくは続くことになる。
1975年12月には 2ndアルバム『T.N.T.』を発表。
オーストラリアでは、成功したバンドとしての評価を得る。
世界へ
1976年、アトランティック・レコードと契約。キッス、エアロスミスなどの前座としてヨーロッパの大きな舞台を回ることになる。
1976年9月、アトランティック・レコードからコンピレーション・アルバム『ハイ・ヴォルテージ (HighVoltage)』を発表。
内容は「ハイ・ヴォルテージ」と「T.N.T.」の楽曲から再構成されたコンピレーション・アルバムだが、このアルバムがAC/DCにとっては世界へ向けた初アルバムとなり、300万枚以上を売り上げる。ヨーロッパで立て続けにテレビと雑誌に登場し、人気が高まる。
同年、『悪事と地獄 (Dirty Deeds Done Dirt Cheap)』を発表。(全米では「ハイ・ヴォルテージ」のプロモのため、発売を保留)1977年 『ロック魂 – Let There Be Rock』を発表。(オーストラリアでのリリースに続きアメリカでもリリース)7月から9月にかけて初の大規模なアメリカ・ツアーを行なう。
ちなみに、この『ロック魂 – Let There Be Rock』まで、アメリカ版はオリジナルとは違う編成で発売されているため、ジャケットも収録曲も違うアルバムが存在することになる。
「ロック魂」のレコーディング終了後、マーク・エヴァンスが解雇、クリフ・ウィリアムズ加入。
1977年 アメリカ Flint’s Capitol Theaterで初ライブを行う。
1978年 アルバム『パワーエイジ (Powerage)』 を発表。(初の全世界リリース)
同年、グラスゴーのアポロでレコーディングされた『ギター殺人事件 AC/DC流血ライヴ(If You Want Blood)』 をリリース
1979年「地獄のハイウェイ (Highway To Hell)」 をリリース
このアルバムは、AC/DC初の全米トップ 100入りし、第17位まで上昇。待ちに待ったアメリカでのブレイクとなる。イギリスでも初のトップ10入りで第8位にランクイン。
ボン・スコットの死
1980年2月 若くしてボン・スコットがこの世を去る(享年33歳)。
原因は飲酒後の睡眠中、嘔吐物を喉に詰まらせての窒息死であった。
世界的成功を掴みかけていた矢先のAC/DCは衝撃を受けるが、バンド続行を決意。
新しいボーカルに、元ジョーディー(Geordie)のブライアン・ジョンソンが参加し、6月29日、ベルギーでAC/DCのライヴ・デビューを飾る。
1980年7月 『バック・イン・ブラック (Back In Black)』発売
アルバムはイギリスでナンバー1、アメリカで第4位。売上も500万枚というバンドとして一番のベストセラーとなる。
1981年3月 アメリカで1976年に発売を保留していた『悪事と地獄 (Dirty Deeds Done Dirt Cheap)』を発表。ニュー・アルバムとしての扱いで、全米第3位まで上昇。
同年11月 『悪魔の招待状 (For Those About To Rock (We Salute You))』 発売。
このアルバムで全米アルバムチャート1位の座を射止めることになる。
低迷
この年、初来日。1983年 フィル・ラッドのアルコール依存症とドラッグによるパラノイアの症状が深刻化
バンドとの間に亀裂が生じたため解雇。サイモン・ライト加入。同年「征服者 (Flick Of The Switch)」をリリース。AC/DC初のセルフ・プロデュース。
このアルバムは、今までのアルバムほどヒットせず、この後AC/DCは低迷を続けることとなる。
同年E.P.「74′ ジェイルブレイク (74′ Jailbreak)」をリリース。
1985年『フライ・オン・ザ・ウォール(Fly On The Wall)』をリリース
1986年『フー・メイド・フー (Who Made Who)』をリリース。
復活
1988年 『ブロウ・アップ・ユア・ヴィデオ (Blow Up Your Video)』リリース。
このアルバムは好評を博し、シングル「ヒートシーカー」「炎のロックン・ロール」がイギリスでヒット、アメリカでもアルバム・ロックチャート入りし人気が再燃。
アルバムに伴ったツアーを開始するが、アルコール依存症の治療に専念するためマルコム・ヤングが一時的にバンドを離脱。(その後アルコール依存症を克服し、バンドに復帰)その間、ヤング兄弟の甥、スティーヴ・ヤングが代わりに参加。さらにサイモン・ライトが脱退。クリス・スレイド加入。
1990年『レイザーズ・エッジ (The Razors Edge)』をリリース。アメリカでは売り上げ300万枚を突破し、前作以上の大ヒットとなった。
同年 映画「ラスト・アクション・ヒーロー」のサウンドトラックに「Big Gun」を提供。1994年 フィル・ラッドが復帰1995年 アルバム『ボールブレイカー (Ballbreaker)』をリリース。1997年 映画『プライベート・パーツ』サウンドトラックをリリース同年 CD5枚組ボックス・セット『ボン・ファイアー ~ボン・スコットに捧ぐ~ (Bonfire)』をリリース。2000年 アルバム『スティッフ・アッパー・リップ (Stiff Upper Lip)』をリリース2001年 19年ぶりの来日公演
2002年 エピック・レコードと契約2003年 ロックの殿堂入りを果す。2008年 約8年ぶりのニューアルバム『悪魔の氷 (Black Ice)』をリリース2010年 3回目の来日公演最近でも 映画『IRON MANⅡ』(日本の公開は6月11日)のサウンドトラックを手がけることの発表があったりなど精力的に活動中。
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