ザ・レインコーツ(The Raincoats)について

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レインコートはイギリスのガールズ・ポストパンク・バンド。
その後に続くの女性バンドの道を切り開いた元祖の一つといわれている。
演奏技術を越えたイノセントなプレイが特徴。
アナ・ダ・シルヴァ(Ana da Silva-Vo、G),、ジナ・バーチ(Gina Birch-Vo、B)の2人を中心に、流動的なメンバーで活動。
活動自体はさほど多くはないが、後続のバンド、特にニルバーナのカート・コバーンなどに影響を与えたことで知られる。

ザ・レインコーツ(The Raincoats)ヒストリー
1977年に、北ロンドン地方のホーンジー大学の学生だった、アナ・ダ・シルヴァ(Ana da Silva-Vo、G)、ジナ・バーチ(Gina Birch-Vo、B)の2人が結成。

11月 初めてのライブのためのラインナップは、アナ・ダ・シルヴァ(Ana da Silva-Vo、G),、ジナ・バーチ(Gina Birch-Vo、B)ロス・クライトン(Ross Crighton-G)ニック・ターナー(Nick Turner-D)

後にスリッツ(The Slits)のケイト・コラス (Kate Korus-G)が入ったが、まもなくジェレミ・フランク(Jeremie Frank)と交代。

まもなく、ニック・ターナー(Nick Turner-D)がザ・バラクーダーズ(The Barracudas)を作るため脱退。
代わりに、リチャード・デュダンスキ(Richard Dudanski-後にザ・ワンオーワナーズ(The 101’ers)、パブリック・イメージ・リミテッド(Public Image Ltd)にも参加)が加入。
のちに映画監督、脚本家となるパトリック・ケイラー(Patrick Keiller)も学生時代、ドラムスとして参加していた。

このようにメンバーの入れ代わりの紆余曲折があった後、
1978年 スリッツ(The Slits)のパルモリブ(Palmolive-D)、ヴィッキー・アスピノール(Vicky Aspinall-violin)、マネージャにシャーリー・オラフリン(Shirley O’Loughlin)が加わり、全員女性のポストパンクバンドが誕生。

1979年、ラフ・トレード・レコード(Rough Trade Records)から、3曲入りファーストシングル”Fairytale in the Supermarket” / “In Love” / “Adventures Close to Home”をリリース。

それに伴い初めてのイギリスツアーをスイスの女性バンドクリネックス(Kleenex)と一緒に行う。
同年 ファーストアルバム「ザ・レインコーツ(The Raincoats)」発表。

1980年 アメリカ、ヨーロッパツアーをしながら、セカンドアルバム「オディシェイプ(Odyshape)」録音中にパルモリブ(Palmolive-D)が脱退、イングリッド・ワイス(Ingrid Weiss-D)加入。

1982年12月 ニューヨークのアートスペース「ザ・キッチン(The Kitchen)」でライブアルバムを録音。
この音源はライブアルバム「ザ・キッチンテープス(The Kitchen Tapes)」として1983年リリース。

1984年 4枚目のアルバム「ムービング(Moving)」発表。
その後、メンバーはソロプロジェクトを開始。
ザ・レインコーツ(The Raincoats)としての活動を停止する。

1992年 ザ・レインコーツ(The Raincoats)の熱心なファンであった、ニルバーナ(Nirvana)のカート・コバーン(Kurt Cobain)がレインコーツの新しいアルバムを探すために、ロンドン西部のタルボット通りのレコード店「ラフ・トレード・ショップ (Rough Trade Shop)」をおとずれた。

ラフ・トレード・ショップのスタッフ、ジュード・クリントン(Jude Crighton)は、ショップのすぐ角を曲がったところにある、彼女のいとこが経営しているアンティークにカート・コバーンを連れていった。そこではアナが働いていた。

カートは、この時のことを自身のアルバムのライナーノーツに書くほど、興奮していたが、アナは、カートのことも、ジュードのことも全く知らなかったと後に語っている。

カートの働きかけで、1993年 ラフ・トレードとDGCレコードは、カート・コバーンとソニックユースのキム・ゴードンのライナーノートをつけて、ファーストから3枚のアルバムを再発。

1994年3月 マネージャーのシャーリーがアルバムリリースを祝うため行うライブへの出演を、アナ、ジナに説得。
ロンドンの「ガレージ(the Garage)」で、新しいバイオリニスト アン・ウッド(Anne Wood)、ソニックユースのスティーブシェリーを迎えてライブを行った。

このライブはBBCラジオの著名なDJ ジョンピール(John Peel)の番組のため録音され、イギリスのインディレーベル「ブラストファースト(Blast First)」とソニックユースのスティーブシェリーのレーベル「スメル・ライク・レコード(Smells Like Records)」から発売。

その後、カート・コバーンは、4月から始まるニルヴァーナのイギリスツアーにザ・レインコーツを誘っていたが、そのツアーの1週間前にカートが自殺。

しかし、カートのこれらの働きかけがきっかけとなり、ザ・レインコーツは活動を再開。
1996年 5枚目のアルバム「ルッキング・イン・ザ・シャドウズ(Looking in the Shadows)」発表。

いまなお、サポートメンバーを迎えながら、マイペースで活動を続けている。

2010年には、Japan Tourが決定。初来日を予定している。

ザ・レインコーツ [歌詞/対訳付] [解説付]オディシェイプ [歌詞/対訳付] [解説付]ムーヴィング [歌詞/対訳付] [解説付]