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    1981年 ニューヨークで結成されたノイズパンクバンド。
    現メンバーは
    サーストン・ムーア(Thurston Moore-G.vo)
    キム・ゴードン(Kim Gordon-B,G,Vo)
    リー・ラナルド (Lee Ranaldo-G, vo)
    スティーヴ・シェリー (Steve Shelley-D)
    マーク・イボルド (Mark Ibold-B)

    実験的な楽曲が多く、変速チューニングを使った独創的なノイズギターなど、その音楽性には高い評価がある。
    後のグランジ、オルタナティブ・ロックムーヴメントへ大きな影響を与えた。

    ソニック・ユース (Sonic Youth)ヒストリー
    1976年 ニューヨークに引っ越したサーストン・ムーア(Thurston Moore)が コーチメン(The Coachmen )というバンドを結成。

    当時、ニューヨークのBinghamton大学の芸術学科の学生だったリー・ラナルド (Lee Ranaldo)はコーチメンの大ファンになり、すぐさまサーストン・ムーアと友人となる。

    リー・ラナルドは現代音楽家グレン・ブランカが主宰するエレキギターアンサンブルのメンバーでアメリカ、ヨーロッパを廻っていた。

    コーチメン解散後、サーストン・ムーアは、スタントンミランダ(Stanton Miranda)のバンド「CKM」とジャムを始めた。CKMは、当時ローカルアーティストだったキムゴードンをフィーチャーしたガールバンドとして知られている。


    その後、ムーアとゴードンはバンドを結成。

    そして 1981年6月、ニューヨークの「ホワイト・コラムズ・ギャラリー(White Columns gallery)」で「ノイズ・フェスティバル(Noise Fest)」に出演時にバンド名を「ソニック・ユース(Sonic Youth)」に決定。

    その「ノイズ・フェスティバル(Noise Fest)」で、リー・ラナルドが所属するグレン・ブランカ率いるエレキギターアンサンブルも演奏。

    その演奏を見てサーストン・ムーアは感銘を受け、リー・ラナルドをバンドに誘う。
    3人は週末ごとに積極的にライブ活動を開始。リチャード・エドソン(Richard Edson-D)が加入するまで、メンバーが交代にドラム演奏を担当していた。

    その後ソニック・ユース(Sonic Youth)はグレン・ブランカのレーベル「ナチュラル・レコード(Neutral Records)」と契約。

    ニューヨークのスタジオで5曲入のミニアルバム「ソニック・ユース(Sonic Youth)」を録音し、2-3のアメリカの音楽プレスに送る。
    レビューは概ね好評であったが、その後、役者になるため、リチャード・エドソンが脱退。ボブ・バート(Bob Bert)が代理を務めるようになる。

    その頃、ニューヨークのノイズバンド「スワンズ(Swans)」と親交を深め、1982年、Swansのツアーのサポートで同行。

    ニューウェーブ全盛のユーロッパでは大人気を博してはいたが、、ニューヨークのプレスはこのローカルなノイズロックシーンを無視。
    ヴィレッジヴォイス(ニューヨークの大衆新聞)で有名な音楽評論家が取り上げるなどの動きもあったが、アメリカでは人気が出なかった。

    1983年 「コンフュージョン・イズ・セックス(Confusion Is Sex)」発表

    その後、ロイヤリティなどの問題で「ナチュラル・レコード(Neutral Records)」と契約解除。
    イギリスのブラスト・ファースト(blast first)レーベルと契約。
    アメリカではバンドに興味を持ったジェラルド・コスロイ(Gerard Cosloy)がホームステッド(Homestead)というアメリカのレーベルを立ち上げ、アルバムをアメリカでもリリースした。

    1984年「バッド・ムーン・ライジング – Bad Moon Rising」リリース。

    その結果ニューヨークプレスさえ、ソニック・ユース(Sonic Youth)は、芸術家気取り過ぎて尊大であるとみなしてリリースの話題を無視、しかし、イギリスではこのアルバムは絶大に賞賛される。

    「バッド・ムーン・ライジング – Bad Moon Rising」のライブツアーは1年に及んだが、これに飽きた、とボブ・バート(Bob Bert)が脱退。代わりにスティーヴ・シェリー(Steve Shelley)加入。これで現在のラインナップが揃うことになる。

    1986年、アメリカでの契約を、ホームステッド(Homestead)からカリフォルニアのインディーレーベルの「SST Records」に変更。

    3枚目のアルバム「イーボル(EVOL)」発表。
    1987年 「シスター(Sister)」発表(SFライターフィリップK・ディックの作品に影響を受けたという)。

    その後 支払いや、著作権管理などの不信問題でレーベルをSST-Recordsからアメリカの「エニグマ(Enigma)」に変更。

    1988年4枚目のアルバム「デイドリーム・ネイション(Daydream Nation)」発表。
    インディー時代の最高傑作と呼ばれるこのアルバムを発表後、ついにメジャーレーベルDGCレコード(当時ゲフィン・レコード傘下、現在はインタースコープ・レコード傘下)と契約。

    1990年 「グー(GOO)」、1992年 「ダーティ(Dirty)」、1994年 「エクスペリメンタル・ジェット・セット、トラッシュ・アンド・ノー・スター(Experimental Jet Set, Trash & No Star)」、1995年 「ウォッシング・マシーン(Washing Machine)」、1998年 「ア・サウザンド・リーヴズ(A Thousand Leaves)」と次々発表、広い層にも訴えかける作品を次々とリリース。一方で自主レーベル 「SYR(Sonic Youth Recordings)」で1999年 「SYR4 グッバイ・20th・センチュリー(SYR4: Goodbye 20th Century)」、2000年 「NYC ゴースツ&フラワーズ(NYC Ghosts & Flowers)」など、実験性の高い作品もリリースするなど精力的に活動。

    2000年 「SYR4 グッバイ・20th・センチュリー(SYR4: Goodbye 20th Century)」からアルバムのプロデュースに携わっていた「ジム・オルーク(Jim O’Rourke)」が加入。担当楽器が「道楽」と紹介され(日本版のみ)話題となった。実際には何でもこなすマルチプレーヤー。2006年に一時脱退。

    2006年、インタースコープとの契約が満了。アメリカのインディー・レーベル「マタドール・レコード (Matador Records)」と契約。またインディーに戻ったことで話題となった。

    2009年 「ザ・エターナル(The Eternal)」発表。
    現在もマイペースで活動中である。

    Daydream NationDirtyWashing Machine


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