7.リバプール・サウンドとブリティッシュ・インヴェイジョン-1964-1965年
- マージービート(Merseybeat)-ビートルズ(The Beatles)の登場
- ブリティッシュ・ブルース-首都ロンドンのムーブメント
- イギリスからの侵略-ブリティッシュ・インヴェイジョン
- イギリスの海賊ラジオ局(Pirate radio)
7.リバプール・サウンドとブリティッシュ・インヴェイジョン
B.ブリティッシュ・ブルース-首都ロンドンのムーブメント |
Marquee Club
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一方、リヴァプールと対照的な動きがあったのが、首都ロンドン。
スキッフルブームが終演したイギリスの首都ロンドンでは、スキッフル発祥の元となったブリティッシュ・トラッド・ジャズから派生した、ブルースを演奏するグループも出始めます。
スキッフルブームの立役者、ロニー・ドネガンは、そもそもブリティッシュ・トラッド・ジャズを演奏する「クリス・バーバー・ジャズバンド(Chris Barber’s Jazz Band)」のメンバーであり、ヒットした「ロック・アイランド・ライン(Rock Island Line)」はそのバンドのシングルカットで、スキッフルスタイルは幕間に演奏するような軽い音楽のひとつでした。
このバンドのリーダー、クリス・バーバー(Chris Barber)は、ライブハウス「マーキー・クラブ(Marquee Club)」も経営しており、アメリカの重要な黒人ブルースアーティストを次々にイギリスに招き、イギリスにブルースの種をまいた人物でもあります。
1958年には「マディ・ウォーターズ(Muddy Waters)」を呼んでいます。
Alexis Korner
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このときのイギリス公演で、ウォーターズは「クリス・バーバー・ジャズバンド」をバックに従え、エレクトリックギターをガンガン弾き、フォークブルースファンはエレクトリカル・サウンドにどん引きだったらしいが、1949年からクリス・バーバー・ジャズバンドに参加していた「アレクシス・コーナー(Alexis Korner)」は大いに感銘を受け、1962年 スキッフル仲間の「シリル・デイヴィス(Cyril Davies)」と、エレクトリックR&Bバンド「ブルース・インコーポレイテッド(Blues Incorporated)」を結成。ロンドン西部のイーリングに、自らのクラブ「イーリング・ジャズ・クラブ(The Ealing Jazz Club)」も開店。
このイーリング地区にはアートスクールが近くにあったこともあり、ソーホー地区に次いで、ロンドンでボヘミア的雰囲気に満ちている地区でもありました。
クラブまで作ったのは、当時、地元のジャズクラブでは、エレクトリックなR&Bなど演奏させてくれるところがなかったからだといいます。このクラブはエレクトリックR&Bの虜になった新しい音楽を求める若者に熱狂的に支持されます。ミック・ジャガー(Mick Jagger)、キース・リチャード(Keith Richards)、エリック・クラプトン(Eric Clapton)、ポール・ジョーンズ(Paul Jones)などが観客としてきていました。
またコーナーは自らのバンド「ブルース・インコーポレイテッド」でメンバーの固定をせず、常に若手のミュージシャンを流動的に参加させていました。イーリング・クラブはコーナー達のR&Bの実験の場でもありました。
Blues Incorporated
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ブルース・インコーポレイテッドは前述のロンドンの中心地区ソーホーにある「マーキー」でも週1のレギュラーを獲得。
ロンドンにR&Bムーブメントを起こします。
この頃のセミ・レギュラーの顔ぶれとしては
ビル・ワイマン以外の「ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones)」「ジンジャー・ベイカー(Ginger Baker-クリームCream)」「エリック・バードン(Eric Burdon-アニマルズThe Animals)」「ポール・ジョーンズ(Paul Jones-マンフレッド・マンManfred Mann)」「ロバート・プラント(Robert Plant-レッド・ツェッペリンLed Zeppelin)などそうそうたるメンバー。
セミ・レギュラーの座を得た若者達は、実践的な修練の場を与えられ、実力をつけていくことになります。
この頃にはR&Bはトラッド・ジャズの人気を凌駕し、人気が逆転。ブリティッシュ・ブルースを演奏できる新しい店が次々と登場。
ブルース・インコーポレイテッドから巣立った若者たちは自身のバンドを展開。
基本となるブルースやR&Bに自分たちの味を加えながら発展させ、ロンドンの若者の人気を得ていきます。
同じ頃、「マーキー」にほど近い、「フラミンゴ・クラブ(The Flamingo Club)」でも、新しいR&Bシーンが芽生えつつありました。
Georgie Fame
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フラミンゴ・クラブはジャズ系のスポットとしてオープンした店でしたが、このころには、ロンドン在住の黒人やモッズのたまり場となっていました。
ここに「ジョージィ・フェイム&ザ・ブルー・フレイムズ(Georgie Fame & The Blue Flames)」が出演。ジョージィ・フェイムはブルー・ビート※とR&Bを融合させた新しい音楽を披露。
新たな熱気をロンドンに生み出しました。
この後、ジョージィ・フェイムはブッカー・T&ザ・MG’s(Booker T. & the M.G.’s)に影響を受け、ハモンドオルガンとレズリースピーカーを導入。グルーヴィーなオルガン奏者としてスウィンギング・ロンドン(Swinging London)を代表するアーティストとなっていきます。
※ブルー・ビート…白人によって演奏されるレゲエ/スカの総称。にたような使い方として白人のソウルをブルー・アイド・ソウルというようなことと同じ感じです。
こうして、リヴァプールから発生したビートブーム、ロンドンから発生したR&Bムーブメント、この2つのイギリスの波は、アメリカの音楽業界を侵略していくことになるのです。
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