3. ビル・グラハムの功績 |
当時のサンフランシスコといえば「ヒッピー・ムーブメント」の聖地でもあり、全く新しいサブカルチャーが登場した時期でもありました。
60年代にサンフランシスコに活動拠点を移したグレイトフル・デッドは、当時ライブハウス「フィルモア」を経営し、サンフランシスコ中のコンサートを仕切っていたビル・グラハムに活動の全てに関するプロモーションと、マネジメントを依頼します。
当時のビル・グラハムが考案したPAのシステムや、ゲリラ的なコンサートのやり方の
興行スタイルは革命的であり絶大な影響力を持ったものでした。
その興行スタイルのひとつとして、アーティストと独占契約をしプロモートの中の一つとして
ポスターやプリントしたオリジナルTシャツを販売することを思いつきます。
ポップアートの巨匠 スタンリーマウスがそれまでの名声・仕事をすべて捨て、ヒッピー・ムーブメントの聖地、サンフランシスコに流れ着いたのも、丁度その頃。
スタンリーマウスはそこでで出会ったアルトン・ケリーと「マウス&ケリー」としてアートユニットを組み、ビル・グラハム率いる「ファミリー・ドッグ」から著名アーティストのコンサートポスターやレコード・ジャケットを依頼され次々世に送り出していきます。
(そうして生まれたものの一つがあのグレートフル・デッドのシンボルである「スカル・アンド・ローズ(Skelton&Rose)」)
その後「マウス&ケリー」はロック界初のTシャツ会社を興し、“ロックTシャツ”というもう一つの新しいカルチャーに挑んでいきます。